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メモミー

かめの走り書き

難産な男たち

シン・ゴジラ流行っていますね。今年の四月頃から日本の特撮に興味を持ち始め、リサーチしていたのでものすごくタイムリーで(huluにはお世話になった)楽しめました。シンゴジについてはもうありとあらゆるところで語り尽くされている?ので、これまで自分が日本特撮で興味を持った話をしたいと思います。

言うまでもなく日本特撮の素晴らしさは怪獣です。そしてその怪獣をよりダイナミックに演出しているのは見事に破壊される緻密な模型であります。怪獣に蹂躙される家々、なぎ倒されるビル、折れるタワー、またこれらに付随した電柱、看板広告、公衆電話、干された布団、ゴミなど私たちの日常生活用品が一瞬にして吹き飛ぶことによって、怪獣はその存在を確かなものにさせるのであります。

そして重要なことはこれを作る人間がいるということです。数秒のワンカットがために一体どれだけの時間を費やしたのでしょう。映像の中で徹底的に壊され続ける、生み出されたリアル。でも結局破壊されてしまうのです。撮影現場で職人たちはなにを思うのでしょうか。

怪奇大作戦 第23話「呪いの壺」ではそんな職人たちの怨念が込められていると思います。この作品には二つの偽物が登場します(壺=設定上の贋作、燃える寺=特撮ミニチュア)。そして最後、壺を持った犯人が追い詰められて寺へ逃げ込んだ際のセリフ「この寺が本物か偽物か、わしの道連れやで」からも分かる通り、職人たちが偽物の現実をどれだけ愛し、どれだけ悲しんだか僕にはそう考えるほかないのです。

歴史的に特撮とは一種のエフェクトにすぎません。しかしCGがたやすく使えない時代、エフェクトも手作りだったことを僕は見逃せませんでした。シンゴジラに踏みつぶされる町は確かにリアルで、昨今のハリウッドだってvfxの見分けがつきません。しかしCGデータは復元できますが、模型はそうはいきません。必ず失われる運命にあるのです。そしてそれは現実も同じです。スケールの違いだけなのです。「人間の作ったものだけが、模型になるんだ」森博嗣の小説の中でこんなセリフがありますが、宇宙からみたら、本物の怪獣目線で見たら人の作った世界なんて模型と同じなんです。

話は長くなりますがそんな産みの苦しみには、ワケがあるような気がします。「呪いの壺」でもそうでしたがドラマの中で女が出てくるのです。男を苦しめる女が。

初代ゴジラでもその関係性はありました。芹沢博士は戦後間もない平和を守るために、元許嫁の女とその現彼氏に説得されオキシジェンデストロイヤーと共にゴジラと死にます。ですがここにも産みの苦しみが描かれているのです。戦後間もない平和とはGHQによって抑圧されていた(戦中の苦しみも含めて)偽りの平和であり、元許嫁のことを今でも想ってしまっている、現彼氏の強い正義感などへの強い贖罪から、オキシジェンデストロイヤーを生んでしまった苦しみからの解放としての死しか、彼には残っていなかったようにも思えます。

ウルトラマンエース第4話「3億年超獣出現!」でも女に狂った漫画家の男が怪獣を操り戦います。結局エースに怪獣は倒され、漫画家は家ごと爆散(泣)

女は出てきませんがウルトラマン第15話「恐怖の宇宙線ガヴァドンだってそうです。子供達の想像力が生んだ怪獣であるからこそ弱く、そして大人の生んだウルトラマンにボコボコにされてしまいます。(「ウルトラマン帰れ〜!」と叫ぶ子供たちに涙)

男は子供を作ることができません。物理的に生命を宿すことが禁じられています。そして古来から武器を作り破壊してきたのも男です。真の創造(子供を産むということ)はできないのかもしれません。それでも現実を創り出したい、現実と戦いたい、日本特撮にはこうした宿命に直面した難産な男たちの姿を見せてくれました。